頭のいい人はやはりちがうね
自分をうまく守る方法を知ってる
自分が何をすれば傷ついてどこまでなら傷ついても大丈夫かをわかってる
なにより、自分が傷つくことを避けるためにとり得るたいていの手段はためらいなくとることができる
たとえ誰かが代わりに泣くことになっても
それが知性の始まりだと思うし
その上で知性は自分に他者を含めることで完成すると思う
ただ、その過程はすごく難しくて
時に知性は独り善がりの狡猾なものだと受けとられがちである
そのような知性は、完全な知性になることを期待されるし
また、ならなければならないと思う
だが往々にしてその目的を知る人は少なく
それが自分一人の自覚であるかぎり
それが他人に理解されないかぎり
狡猾さの中で高みをめざし、自分を責めないその知性は批判される
恐らくこうしていること自体も一つの狡猾さであり
自分もそれを理解しているために抜け出すことができない
やめれば狡猾さでおわるし
やめなければいつか自に他を含む日まで狡猾と呼ばれる
難しいというのはこのことであり
そのために不完全な知性は多くの場合知性であることを放棄し、爪を隠す鷹となる
爪を隠さないで生きられる知性は往々にして少しであり
爪が他の無能な鷹に傷つけられることを肯じることができる
それが
たいていの知性にはできないことであるために
知性は
非知性と知性の間ではなく
完全な知性と不完全な知性の間で苦しむのだと思う
こう考えること自体すでに知性ではなく
既に敷かれたレールの一つだとは思うが
だとしてもこの知性が完全になるために幾分かの寄与をするはずだとも思う
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